マイクロソフトがSurface Studioを発表し、あまりの出来栄えにSNS上などで「MSがAppleになった」と祭り上げられている。
これは一面では正しい。製図板のような大型のタッチ・コンピュータは、もう数十年も前から誰もが夢見ている構想で、これこそデザイナーに支持されているAppleが先陣を切るべきだったとは思う。
Appleはこれの代わりにスマート・ウォッチという夢を追求した。コンシューマ市場を重視するアップルがこちらを選択したのも分かる。実際大型のタッチコンピュータの恩恵にあずかれるのは一部のプロフェッショナルだけだし、一般コンシューマに比べれば微々たる数だからだ。
ただ、ジョブズ存命時には円筒形のMac Proのような野心的なプロジェクトが活きていた(発表されたのは没後だが)。おそらく大して売れるものではなかったに違いないが、冒険心に富んだプロダクツだった。
それに比べるとApple Watchはファッショナブルだが何とも退屈だ。四六時中ユーザーをSNSにクギ付けにするためのデバイスにしか思えない。
これはアップルがダメになったわけではなくて、普通の会社になったというだけだ。ジョブズ在任時の異様な緊張感と熱気こそ異常だったのではないかとも思える。
Windows10が使いやすいとは必ずしも思わないが、古さは感じない。未来のOSのあるべき姿であるように感じる。ではMacOSはどうだろう。今となってはウインドウシステムの伝統を清く正しく受け継ぐ保守的なOSに見えてしまう。その保守的な部分が使いやすさに繋がっているのは皮肉なことだ。
対してハードウェア方面は、次々と古い端子を斬り捨てユーザーに不便を強要することが先進性だと誤解している節がある。現在のアップルは保守性と革新性が交錯していて、どちらかが支配的になるということもなく、バランスを保っている。
しかしそれではもうユーザーを惹きつけるのは難しいだろう。
マイクロソフトと違い製造工程を完璧なまでにコントロールするアップルは、工芸品のような美しいハードを作れる。しかし所詮は実用品かつ消耗品であり、スマホに至っては実質2年で買い替えるのが一般的だ。仕様が古くなればゴミになってしまう運命だ。
ならば、そこまでこだわって多めの予算をアップルにつぎ込むまでもないとユーザーが判断すれば、アップルの囲い込みから離れるだろう。そしてそのようなユーザー層が拡大すれば、もうアップルは失速する以外の未来は考えられない。