2015年11月1日@一橋大学【満州での集団自決】(1)

戦争体験

Kさんは昭和5年、長野県の飯田下伊那郡の河野村という農村で生まれた。15歳の時、つまり終戦ギリギリの時期に開拓者として満州へ渡り、そこで想像を絶する体験をしたのち、奇跡的に日本へ戻ることが出来た。それ以来、長らくこの時の体験については口を閉ざしたままであった。

この時の体験について、直に本人の口により伺うことのできる、貴重な機会を得ることが出来た。

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このような話を当事者から直接聞くことのできる機会は、いよいよここ数年で最後になってしまうであろう。そうなってしまえば、このような記録は「ただの歴史のひとコマ」に成り下がり、明治維新や関ヶ原の戦いなどと同列の「物語」と化す。

自分がこのような機会をなるべくのがさず記録していこうとするのはなぜかというと、直接の声を聞いた自分が次の「語り部」になり、おそらくはあと30年くらいは(つまり2045年くらいまで)次の世代に伝えることができるかも知れないと思ったからだ。もちろん、大学生や高校生ならば2065年まで語ることが出来る。すでに宇宙ステーションが飛び廻り、一般人でも自由に行き来が出来る時代になっているかも知れない、そんな時代に太平洋戦争の記憶(語り伝えられたものであるとはいえ)を直接語れることの意義は大きい。

2045年と言えば、太平洋戦争終結100年になる。1960年代の高度成長期に明治維新を語るに等しい時間感覚だ。しかしながら、歴史の本から読み取るよりは、実際の当事者の声の語り伝えの方が遥かにに真に迫るはずだ。

ついでながら、過去の事実が歴史に変わっていく境目は70年~75年くらいが限界ではないかと思っている。長生きする人は90歳くらいまで生きながらえるとしても、幼少の記憶はあいまいになりがちだし、また記憶が残っていたとしてもそれを克明に伝えることが難しくなる。

記憶がある程度正確に残り、状況の判断ができるのは中学生くらいの年齢でないと難しいと思われるので、太平洋戦争で言えば昭和5年、つまり今のKさんの年代がほぼ最後であると思っている。

実際の戦闘経験のある元兵士の話を聞こうとするとさらに状況が厳しくなり、昭和3年生まれくらいに限られてしまい、すでにほとんど実際のお話を聞くことが不可能になる。これは大変惜しいことだ。そんな中でも今年の8月には福岡で元航空兵による特攻隊出撃の貴重な体験談を聴くことが出来た。その時の話の内容は90歳近くの老齢にかかわらず大変鮮明であったのが印象に残っている。これは折に触れ、思い出しながら記していきたいと思っている。それを考えれば、兵士・被災者両方の観点から本物の戦争体験を聴くチャンスというのは、「待ったなし」で今年か来年が最後のチャンスとなりそうだ。

今回のKさんの満州の具体的な体験については次の縞に譲りたいと思う。

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